市庁舎1階ロビー展示
タイムトリップいちはら 第1回
貝塚の時代
市庁舎1階ロビーにて、パネル展示「タイムトリップいちはら」をシリーズ物として開催いたします。 今回は初回の「貝塚の時代」。 展示のあらすじをホームページ用に編集してみました。ぜひご覧ください。 展示について 題 名 「貝塚の時代」 会 場 市庁舎1階ロビー 展示期間 5月18日(月)から8月17日(月) 休 み 土日・祝・祭日 時 間 午前9:00から午後5時まで |
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市原市には、遺跡や遺物など考古資料や、民具などの民俗資料が多く残されています。 このコーナーでは、定期的にこれらを展示し、郷土いちはらの歴史を紹介していきます。 |
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第1回 貝塚の時代 | ||||||||||||
市原市には、縄文時代につくられた貝塚がおよそ40か所知られています。 とくに市役所周辺の国分寺台地区には、大規模な貝塚が多く残されました。 貝塚からは、土器や石器などのほか、貝や骨、埋葬されたイヌやヒトの骨もみつかるため、当時の人びとの暮らしぶりや、海や森など付近の生活環境の様子をくわしく知ることができます。 現在の市原では、海岸部の埋め立てがすすみ、海との関わりがほとんどなくなっていますが、貝塚に残されたぼう大な量の貝がらは、かつてこの地に海に生きた人びとが大勢いたことを私たちに教えてくれています。 |
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市原市内貝塚分布図 | ||||||||||||
天神台(てんじんだい)遺跡 | ||||||||||||
天神台遺跡は、縄文時代早期の終わり(およそ7,000年前)につくられた市内最古の貝塚です。 たくさんの住居跡や屋外調理施設と考えられる炉穴(ろあな)などがみつかり、市内では最も古い、規模の大きなムラの跡であることもわかりました。 貝塚は、これら住居跡などのくぼ地を利用して形成されています。 この時期のものとしては、かなり規模の大きな住居跡や、全国的にみても数少ない人骨などもみつかっています。 遺跡の一部は、諏訪神社の近くに残されています。 |
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祇園原(ぎおんばら)貝塚 | ||||||||||||
祇園原貝塚は、縄文時代後期のはじめから終わり(およそ4,000年〜3,000年前)までの間つくられた貝塚です。 たくさんの住居跡や100体を超える数の人骨がみつかるなど、千年にわたって営まれたムラの様子を知ることができます。 ムラの中央には広場があり、その近くからは集会場とみられる規模の大きな建物跡もみつかりました。 遺跡の一部は、現在国分寺台中央公園の中に保存 されており、雑木林となった斜面部に貝殻が散らばる様子をみることができます。 |
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千年続いたムラ | ||||||||||||
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貝塚の広がり 人骨・お墓の分布 | ||||||||||||
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西広(さいひろ)貝塚 | ||||||||||||
西広貝塚は、縄文時代中期の終わりから晩期の中ごろ(およそ4,000年〜2,500年前)までの間つくられた貝塚です。 祇園原貝塚と同じように、たくさんの住居跡や人骨がみつかりましたが、この遺跡の最大の特徴は、最大径150m・厚さ2mにおよぶ大規模な貝塚がつくられたことです。 貝塚の中からは、土器・石器のほか、骨や貝で作られた道具類、貝、魚や動物の骨などが多量にみつかっています。 また、ムラの中央部には広場が形成され、ここからは土偶など祭りに使う道具がたくさんみつかりました。 |
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第1次調査時の遺跡付近のようす 昭和47(1972)年ごろ遺跡付近は、雑木林と畑だったことがわかる。 |
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7次調査時空撮(1986年調査開始当初撮影) この調査は東側に展開する平坦面貝層が対象だった。 西広貝塚最後の調査であり、周囲は既に宅地化が進む。調査はこの後、1年半続いた。 |
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市役所付近の 遺跡・施設案内 | ||||||||||||
神門5号墳 史跡上総国分僧寺跡 稲荷台1号墳 史跡上総国分尼寺跡展示館 埋蔵文化財調査センター |
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市役所周辺の遺跡・展示施設案内図 | ||||||||||||