いちはら埋文(まいぶん)講座

第2回 「石器時代の弓矢の矢について」
 平成24年6月9日(土)、今年度第2回目のいちはら埋文講座を開催し、40名の皆さんにご参加いただきました。

 今回のテーマは石器時代の「弓矢の矢」についてです。

 石器時代なかでも、新石器時代は土器の使用と弓矢の使用に始まります。どちらも人類の画期的発明であり、いっぽうは化学変化から土器を焼成し、もういっぽうは組合せ道具として、弓反発から弦を通して矢が飛び、獲物に突き刺す。これらの全く新しい発明から今日の文明が始まったのです。

 考古資料の遺物としての弓矢の実態の痕跡は、ほとんど残らず、弓矢の矢の先端である鏃のみが残されている場合がほとんどです。1g〜2gほどの重さでしかない鏃から、民族資料や海外の事例を含めて、矢柄を推測して、その実態を知るのが今回の講座です。

 実際に鏃が骨まで突き刺さった資料の説明と、そのシカの骨格標本からどのように当時の人々が狩猟していたか、想像してみます。その鏃が飛んで行った矢柄は、どのような構造だったのでしょうか。

 世界でも数例しか残されていないため、ヨーロッパのアイスマンの資料も講座に登場させました。世界で唯一の行き倒れの人体と、その人が携帯したであろう道具の中にも弓矢があり、それに伴う道具が発見されています。

 人類の歴史の中での弓矢と現代も残されている弓矢の関連も考えて見ましょう。人は一世代30年といわれています。5世代前が150年として幕末の竜馬の時代、15世代前の450年前が戦国時代末の信長・秀吉の時代、30世代前の900年前が源平合戦の古代末の時代です。100世代前の3000年前は既に縄文時代後期から晩期に移り変わる時代です。
 大昔や遠古の時代と呼ばれる時代は、放射線プルトニウム239の半減期2.4万年よりはるかに近い年代なのです。その歴史の渦中にある私たちは、全て想定外とはいえない時代に生きているのです。
受付の様子
当日は、隣接する中央武道館の行事と重なり、お車でお越しになられた参加者の皆さんにはご迷惑をおかけしました。
会場の様子
あいにくのお天気にもかかわらず、40名の皆さんにご参加いただきました。
展示資料を手に取る参加者の皆さん
休憩時間中には、弓や弓矢などの展示資料を手にとってもらい、重さや堅さを体感してもらいました。
弓と矢の材料
弓と矢の材料となったイヌガヤやササも展示しました。
シカの骨格標本
骨に矢じりが刺さったまま見つかった出土事例を説明するため、シカの骨格標本も展示しました。
復元した弓矢
復元した弓矢も各種展示しました。
上総国分尼寺跡 上総国分尼寺跡 南中台遺跡 荒久遺跡 祇園原貝塚 南田瓦窯跡群 神門墳丘墓群 上総国分僧寺跡 上総国分僧寺跡 荒久遺跡 南中台遺跡