島穴神社の路4
(しまあなじんじゃのみち)

古代養老川を渡る  2006,7,29
 養老川はかつて島穴神社のそばを流れ、青柳で東京湾に注いでいました。旧河川の跡には今も「前川」と「今津川」と呼ばれる小川が流れています。「前川」とは「以前の大河川」という意味でしょうか。
 島穴神社から低地を越え今津川の縁に出ると、メインルートは再び近世の房総往還に合流します。さらに今津川を渡ると、房総往還は旧国道に合流します。この道のりは「鎌倉街道」と呼ばれ、かつて7月21日に姉ア・島穴両神社の祭礼として、御輿が行き交った古道でもあります。

5-1(上) 島穴神社と白塚台遺跡から、再びメインルートに戻りました。古道は微高地と水田の間を抜けていきます。

ここから先は道幅が狭く、車の通行が困難になります。
6-1(上) しばらくまっすぐな道が続きます。かつて7月21日には、島穴神社と姉崎神社の祭礼で、御輿が行き来したルートです。
7(左) やがて古い住宅地を抜けると、近世の房総往還に合流します。T字路の向こうに見える緑地帯が、古代養老川の河川敷と考えられているところです。

8-1(下)中央を流れる今津川は、古代養老川のなごりと考えられています。写真に見える3本の橋梁は、奥からJR内房線鉄橋、旧国道の「白塚境橋」、そして房総往還・古代メインルートの「白塚橋」です。
旧国道から合流地点をふり返る
8-2(上) 白塚橋を渡る手前から旧国道との合流点を眺める。房総往還と合流した古代の推定メインルートは、ここから再び旧国道(バス通り)に乗り、姉崎方面に向かいます。
8-3(左下) 旧国道との合流地点付近にある馬頭尊の道標。寛政8年(1796)、姉崎村の若者衆を願主として建立されたのものです。
8-4(右下) 道標から姉崎方面を望む。
あ、道標みっけ!
馬頭尊の道標ね。右側に「此方 房州木更津 たかくら道」って彫ってあるよ。
次はいよいよ姉崎ですね。