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49 海岸から台地へ海岸平野を通り抜ける古代の道 五所四反田遺跡から市原条里制遺跡(市原地区)と阿須波神社
−今なお生きる古代道の道筋と柳楯神事− |
近藤 敏 |
遺跡所在地:市原・五所
時代:奈良・平安時代〜 |
はじめに
過去に遺跡の深層欄で紹介した「古代道路の三叉路 山田橋表通遺跡と大山台遺跡」は、台地上の古代道路でしたが、今回紹介する古代道は、低地上の海岸平野にありました。
現在の市原市立五所小学校内の五所四反田遺跡Bと、高速道路の館山線下にある市原条里制遺跡の市原地区Cの地点が調査されました。その古代道路のルートは、五所字神明地区A地点の海岸線付近から海岸平野を抜けて、台地上にある市原字阿須波地区D地点の阿須波神社脇の切り通しまで推定されています。
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1945年撮影の市原条里制遺跡周辺の空中写真 |
千葉県無形文化財「柳楯神事」
柳楯神事(やなぎだてしんじ)は、八幡の飯香岡八幡宮の秋季大祭の神輿の宮だしに際し、事前におこなわれる祭祀であり、千葉県無形文化財に指定されています。オレンジ色が中道(ナカミチ)と呼称された柳楯神事のおこなわれる市原地区から五所地区までの柳楯のルートです。
その道筋が発掘調査によって古代道をトレースしており、神事ルートとして残っていたことが、見事に証明されました。現在は、水田の圃場整備で新規に区画されて、ルートは若干ずれていますが、五所地区の市街地はそのままと推定されます。
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1960年代の市原条里制遺跡の地形図 |
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D地点 阿須波神社と柳楯神事風景 |
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阿須波神社から見えた古代道の調査風景 |
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C地点 市原条里制遺跡調査の古代道と柳楯神事一行 |
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市原条里制遺跡古代道跡と阿須波神社(奥の台地右) |
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B地点 五所四反田遺跡と市原台地右上に市役所 |

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五所四反田遺跡の古代道路跡 |
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A地点付近 五所地区の現在の旧海岸線 |
都へ通じる古代の道
古代道路は当時の都に通じ、その駅と駅を連絡する駅路(えきろ)と、駅路から国衙に連絡し、そこから郡家に接続する道路である伝路(でんろ)に研究上区別されています。
市原条里制遺跡の古代道や、五所四反田遺跡の古代道路跡は、駅路から分岐した伝路と推定され、台地上の古代道と同じ規格で、約6mの道幅で側溝が両側にあります。
これらの伝路は、海岸線に近い海岸砂丘上の古代東海道駅路から分岐して、上総国府(推定地)へ向かうもので、国府からさらに南下する道路が、山田橋地区の古代道路跡と推定されます。古代につくられた高規格道路は、現在でも道路として使用され、大字境界として、現代まで認識されてきました。市原市の古代道はその土地の歴史の証言者なのです。 |
参考文献
大谷弘幸1998「市原条里制遺跡」『千葉県の歴史』資料編考古3 千葉県
近江俊秀2013「古代道路と何か」『古代道路の謎』祥伝社新書
小久貫隆史1999『市原市市原条里制遺跡』(財)千葉県文化財センター
近藤敏2004「五所四反田遺跡について」『市原市八幡地区の遺跡と文化財』市原市歴史と文化財シリーズ第九輯平成16年度歴史散歩資料 市原市地方史研究連絡協議会
中嶋宏子1999「飯香岡八幡宮の秋季大祭」『上総国府推定地歴史地理学的調査報告書』市原市教育委員会
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