遺跡の深層

46 弥生時代の貝塚
  −郡本遺跡群・第17次の調査事例から−

忍澤成視
遺跡所在地:郡本4丁目
時代:弥生時代中期〜

はじめに
 ここに採り上げるのは、平成25年度に民間の住宅建設などにともなっておこなわれた市原市内遺跡発掘調査の際の出土資料です。郡本遺跡群の第17次調査では、弥生時代中期の竪穴建物跡の内部に小規模な貝層が見つかりました。一般に東日本では、弥生時代になると貝塚がほとんど見られなくなります。市原でも、縄文時代後期までは盛んに大規模な貝塚が集落内に作られますが、弥生時代以降はごく稀な存在です。したがって、弥生時代の「食」の一端や当時の海の様子を知るためには、小規模とは言えこれらの資料は大変貴重なものです。
遺跡の位置
 郡本遺跡群は、東京湾の旧海岸線から2qほど東に入ったところにある通称「市原台地」と呼ばれる標高20〜25m前後の台地上に位置します。これまで、大規模な発掘調査はおこなわれていませんが、小規模な開発に伴う調査が昨年までに20回以上も続けられており、この結果、広大な遺跡範囲内には弥生時代から中世に至る各種の遺構があることがわかっています。今回取り上げる17次調査の地点は、遺跡群の中では最も西側に位置する箇所で、標高20mほどの高台の目の前には東京湾の海岸線が広がるという景観にあります。
貝層の検出状況と規模
 貝層は、発掘調査で006号とした弥生時代中期宮ノ台式期の竪穴建物の炉の脇および南側の壁付近に、最大で1.5mほどの範囲内に厚さ約20cmにわたって堆積していました(写真)。竪穴住居が使われなくなった後、窪地をゴミ捨て場のように利用したのでしょう。

郡本遺跡群第17次弥生住居内貝層

竪穴建物跡に捨てられた貝など(郡本遺跡群第17次)

貝層の内容
<貝類>
 貝層は、その内容物を詳しく調べるため、発掘調査現場から全てを土ごと土のう袋に詰めて持ち帰ってきました。その数は17袋、採集時の重さは約46sありました。これらは全て最小1mmのフルイ上で水洗いし、残留物の抽出と分類・集計をしました。詳しく分析したのは、全体の4割ほどですが、これによって弥生時代の貝塚の中身の様子がわかってきました。貝類の内訳は、イボキサゴが70〜90%と圧倒的に多く、これは市内の縄文時代貝塚にみる特徴と一致しています。これに次いでハマグリ・ウミニナ・アカニシ・マガキなどがみられました。

郡本遺跡群第17次検出貝層ハマグリの大きさ
郡本遺跡群第17次貝層(弥生時代中期) ハマグリの大きさ
能満遺跡群貝殻塚地区検出貝層ハマグリの大きさ
能満遺跡群貝殻塚地区貝層(縄文時代後期) ハマグリの大きさ

<大型ハマグリ>
 ここで注目されるのはハマグリの大きさで、その殻長は平均で50mm以上、最大は90mm以上になるものもありました。図を見比べてください。比較資料として掲載したのは、先頃報告した能満分区貝塚の縄文後期のハマグリです。こちらはその平均が30〜35mmほどですから、その差は歴然としています。市原市内では、今回のように弥生時代の小規模な貝塚が、住居跡内などからみつかる事例があります。根田代遺跡東千草山遺跡などでも、同様に大型のハマグリが主体でしたので、どうやらこの傾向は市原の弥生時代の貝塚に共通するものだったようです。一般的に、貝類に対する捕獲圧が高まると、貝殻サイズは小型化するようになり、逆に捕獲圧が低くなると、生物の成長速度と齢構成に従った小型から大型個体までのものが一定量存在する自然な個体群を形成すると考えられます。縄文時代中期から後期の前半にかけて、東京湾東岸地域では多数の集落が一斉に貝類の採集をおこない大規模な貝塚がつくられます。このため、個体群が大型化する暇がなく、小型のものばかりになり、それでもとり続けたためそのサイズはシジミのように小さくなり、「ここまで採らなくても」と思うほど小型化してしまいます。やがて縄文後期の中頃以降には、さすがにこれではいけないと気づき「自主規制」したのか、それとも幾つかのムラ同士が話しあい社会的に採取規制したものか、徐々に貝の大きさに復調の兆しが見えるようになるのです。そして弥生時代になって、生業が狩猟採集から農耕に移り変わると、あまり貝を採らなくなるためムラ近くの海岸には大型のハマグリがたくさん見られるようになったようです。ただし、今回の郡本遺跡群を含め弥生時代の集落に残された貝塚はごく稀な存在です。普段はほとんど海とは無関係な生活をしているのに、たまたま出かけて採集しただけのものなのか、それとも特別な行事などのためにある意味をもって採集されたものなのか、この点については今後も考える必要がありそうです。
<魚類・獣類>
 また、今回の貝塚調査では、貝層中から貝類以外に少量ですがクロダイ・スズキ・ウナギなどの魚骨、ニホンジカの部位骨も見つかっています。市原の弥生時代の貝塚から、このような魚骨や獣骨が見つかることはごく稀なので、農耕社会とは言っても貝・魚・獣も時折食していた弥生人の姿が垣間見られる貴重な資料となりました。

 ところで、今回の調査地点は、平成22年に市の指定文化財となった「人面付土器」が出土した畑の近くにあります。地元の方が耕作中に偶然発見したものですが、当時の記録によれば、発見された土器の近くには貝が散らばっていたようです。おそらく人面土器が遺棄された近くには、今回調査したような小規模な貝塚があったのでしょう。

参考文献
市原市教育委員会2014『平成25年度市原市内遺跡発掘調査報告』市原市埋蔵文化財調査センター調査報告書第30集
財団法人市原市文化財センター1989『千草山遺跡・東千草山遺跡』財団法人市原市文化財センター調査報告書第29集
市原市教育委員会2005『根田代遺跡』財団法人市原市文化財センター調査報告書第92集
須田 勉1976「口絵 人面土器解説」『古代』第59・60合併号 早稲田大学考古学会

薬師如来坐像 姉崎神社