遺跡の深層
21 荒久遺跡の紡錘車 北見一弘
遺跡所在地:国分寺台
時代:奈良・平安時代
紡錘車とは
 国分僧寺跡の東に広がる奈良・平安時代の集落である荒久遺跡からは、紡錘車が36個出土しています。
 紡錘車とは、コマのような形をした糸を紡ぐ道具で、日本では弥生時代〜室町時代に使われたとされます。しかし、遺跡から出土する事例は10世紀以降極めて限られます。
 紡錘車と一括りにしましたが、用語には別称や混用が見られ、注意が必要となります。
 この糸を紡ぐ道具は、「紡錘(ぼうすい・つむ)・はずみ車・紡錘車」などと呼ばれ、2つの部品に分けられます。
 一つは軸にあたる部分で、糸に撚りをかける回転運動の中心となります。
 「紡軸(ぼうじく)」や「紡茎(ぼうけい)」と呼ばれます。
 素材は鉄製品が出土しますが、土中では腐食してしまう木製のものが主に使われていたと考えられます。
 鉄製のものは、上部が鉤形をしていているものがあり、ここに繊維を絡めて撚りが戻らないようにしたようです。
 二つ目は回転する惰性を大きくし、なおかつ撚った糸が、軸の下位に下がらないよう、底板の役目も担うおもりです。
 これを「つむ」や「こま」、「紡輪(ぼうりん)」と呼称していますが、その機能からこの部分を「紡錘車」とすべきと主張するする研究者もいます。
 ただ、遺跡から出土する多くはものの大多数が、軸を失ったこの部分だけであることから、「紡錘車の紡輪」の意味をこめて「紡錘車」と呼んでいることが多いように思います。
 ここでは、軸部を「紡軸」、おもりを「紡輪」とし、二つが揃っているものを「紡錘車」としておきます。
荒久遺跡出土の紡錘車
上 荒久遺跡出土の紡錘車
紡錘車の素材の違いから何が分かる?
 荒久遺跡の紡錘車を見ると、紡輪は石製・鉄製・土製と、素材に違いがあります。
 ただし、土製に含めた中には専用に作られたものと、土器の底部の中心に孔を開けた転用品も認められます。
 時期については、出土状況を検証しなければなりませんが、およそ8世紀後半から、一部10世紀に入るものの、大部分は9世紀に収まるものと考えています。
 ここで注意したいのは、この紡錘車の素材の違いが、単純に時期によるものではないということです。
 これまでの研究で、古代東国の紡錘車の紡輪については石製と鉄製が並存することが判明していて、この素材の違いをどう評価するのかが現在も論点の一つとなっています。 
 紡輪の素材の違いを、撚る糸の違いとする考え方があります。
 撚る糸といってもその種類は大きく絹に代表される動物性繊維と、麻や木綿などの植物性繊維の二つに分けられます。
 鉄製紡錘車を絹糸の生産と考えた研究では、鉄製紡錘車の寸法のばらつきが少ないことを、より均質な糸を撚る必然性から来るものとみて、絹糸を使用した高級織物生産結びつけています。
 確かに並存する石製の紡輪の寸法と比較すると鉄製のそれは画一性が強いように見えます。
 また、紡錘車に絹と見られる繊維が付着して出土した事例も神奈川県では認められ、鉄製紡錘車の絹糸生産を裏付けています。
 しかし、一方で、やはり紡錘車の付着繊維に麻糸と見られる植物繊維が付着している事例も多く、東京都・長野県・栃木県・奈良県などで認められています。
 このことから、鉄製紡錘車の麻糸生産の関連付けも検証され、出土地の分布と、『延喜式』に見られる麻布の貢納国とに共通性を見出す結果となっています。
 その中には上総国も含まれています。
文献に見る上総国の布
 『延喜式』によると、奈良・平安時代の上総国では布生産が盛んでした。
 とくに麻布の生産は全国的に見ても特筆した生産量であったことがわかります。
 記載は律令国家の税制のひとつである「調」の内容を各国毎に規定した部分にあります。
 集計したものを見ると、上総国は1,199単位(麻織物999単位、絹織物のあしぎぬ200単位)とあり、房総の隣国下総国330単位、安房国289単位と比べると突出しており、全国の平均単位数234単位をも多きく上回ります(総数14,037単位を国数の60で割った値)。
 この史実と鉄製紡錘車を直接結び付けるには尚早かと思います。
 他地域の検証が進み、上総国内での出土事例の検証には比較材料が揃ってきています。
 また、神奈川県の鉄製紡錘車の出土事例の分析では、官衙に関連する地域に集中して出土するとの指摘もあることから、荒久遺跡と他集落との比較でも有用な情報が得られると考えています。
参考文献
東海大学校地内遺跡調査団 2009 『第17回足もとに眠る歴史展 回せ!』
宮原武夫 2001 「第五章 古代房総の生産と流通」『千葉県の歴史 通史編 古代2』
堀田孝博 1999 「古代における鉄製紡錘車普及の意義について」 『神奈川考古』 第35号
古庄浩明 1992 「鉄製紡錘車の研究」『國學院大學考古学資料館紀要』 第8輯
薬師如来坐像 姉崎神社