遺跡ファイル

縄文時代中期〜後期 山田橋亥の海道貝塚 やまだばしいのかいどうかいづか

 国道297号線と稲荷台通りの交差点付近にあるガソリンスタンドの建設に先立って調査を行いました。調査の結果、縄文時代中期の終わり(加曽利EIV式期)から後期前葉(堀之内式期)の貝塚をもつ集落であることがわかりました。同時期の西広貝塚や祇園原貝塚などに比べると、貝塚の規模はずっと小さいのですが、発掘や整理作業には大変な労力と資金と、そして資料に対する情熱が費やされました。
 貝塚には、縄文人の生活に関するさまざまな情報が残されています。発掘の仕方や、整理作業・分析研究のアイディア次第で、いろいろなことがわかります。当センターで発行している「私たちの文化財」20号では、亥の海道貝塚を例にとって、貝塚の「貝層サンプル法」による調査・整理の工程を紹介しています。貝層のなかには食用とした貝・獣骨・魚骨・骨や牙・貝などから作ったアクセサリーなどさまざまなものが見つかります。当貝塚の分析では、たとえば、魚ではイワシ類が最も多く、次いでハゼ類・キス類・クロダイなどが多いことがわかりました。いずれも小さな骨で、こまかい資料を回収するための「貝層サンプル法」を使わず、従来の発掘を行っていたら、ほとんど取り上げることができなかったと考えられます。