遺跡ファイル

縄文時代中〜晩期 実信貝塚 さねのぶ
実信貝塚地形図

 遺跡は市原市スポレクパーク南側にあたる、高速道路建設の際に発掘調査されました。黄色丸印が貝塚のあった場所で、縄文時代中期後半は、その先は海岸線になっていました。貝塚は海浜現標高3〜5mの高さに形成されていました。潮干狩り等の漁労活動の場だったようです。
 縄文時代中期後半の当時の人々は、台地上にあるムラと、実信貝塚を行き来しながら海の恵みを得ていました。発掘された貝塚は恐らく、近隣の集落や拠点集落である草刈貝塚集落に対応する、出先の仕事場の跡なのでしょう。

 縄文時代中期ごろの実信貝塚は海浜貝塚ですが、縄文時代後期後半から晩期は、海水面が低下し、海が岸から離れていく寒冷期にあたり、付近は低湿な状況に変化します。
 貝塚の形成が終わる一方で、縄文人は、その時期に陸になった場所で狩猟を始めます。この時期台地上では、手永貝塚(図右上)が集落形成され、実信貝塚はその出先のキルサイト(獲物の解体場所)や、墓所として利用されるようになったようです。低湿性遺跡になった場所では、集落遺跡とは異なる生活の場があったことを、物語っています。

引用文献
佐藤隆・新田浩三1997「市原条里制遺跡(県立スタジアム)の成果」『研究連絡誌』49 (財)千葉県文化財 センター
小久貫隆史1999「実信貝塚」『市原市市原条里制遺跡』千葉県文化財センター調査報告第354 集』