遺跡ファイル

古墳時代前期 菊間新皇塚古墳 きくましんのうづか
 菊間新皇塚古墳は、総数50基にのぼる菊間古墳群を構成する1基です。
 発掘調査された当時は、高さ7m、一辺約40mの四角い墳丘でしたが、もともとは全長60m近くもある前方後方墳であったと考えられています。
 墳丘上面には、細長い粘土槨(ねんどかく 木製の棺を粘土で覆った埋葬施設)2基が隣接して築かれており、南北に推定される墳丘主軸に対してほぼ直角に配置されています。2基とも盗掘等の破壊を免れており、副葬品の伴う割竹形の木棺痕跡が発見されています。
菊間新皇塚古墳の埋葬施設(上が北) 斎木他1974より 画像をクリックすると拡大
 先に構築されたと見られる南槨(図面下側)には全長9.8mの木棺痕跡の中に、小型の青銅鏡(珠文鏡しゅもんきょう)1・鉄製槍先1・大刀たち1・刀子とうす1・鎌1・ヤリガンナ2・斧1・管玉くだたま5・ガラス玉1が検出され、被葬者の頭位を東とすると胸部にあたる位置周辺に赤色顔料が散布されていました。
 北槨では10.7mの木棺痕跡に小型の青銅鏡(内行花文鏡)1・石釧いしくしろ(緑色細粒凝灰岩)1・勾玉(水晶1・琥珀1)・管玉(緑色頁岩)94が検出され、棺外からも北側粘土部から鉄剣1・鎌1・刀子2・鋤鍬先すきくわさき1・錐(?)1、南側粘土部から刀子2・鎌1・ヤリガンナ1・斧1が埋め込まれたかたちで出土しています。
 副葬品のほかに、墓に置くことを前提として焼き上げる前に底部をあらかじめくり抜いた(焼成前穿孔しょうせいぜんせんこう)壺形土器が検出されています。
 これらの遺物は形状や組み合わせが古墳時代前期でも新しい様子を示していますので、新皇塚古墳は4世紀後半(約1650年前)に築かれたと考えられます。豪華な副葬品と大きな墳丘は、かなりの有力者が葬られていたことを、そして、ふたつ並んだ棺は被葬者が近親者同士であったことを示唆しています。
斎木 勝・種田斉吾・菊池真太郎 1974『市原市菊間遺跡』財団法人千葉県都市公社
白井久美子 2003「215 菊間古墳群」『千葉県の歴史』資料編 考古2(弥生・古墳時代)県史シリーズ10 千葉県