遺跡ファイル

江戸時代から
(17世紀中頃)
一本松塚 いっぽんまつづか
 遺跡は新生荻原野遺跡A区内にありました。ゴルフ場造成のための記録保存調査を実施し、現在は消滅しています。
集落と離れた高台にありますが、かつて糸久集落の供養塚だったといわれます。松の大木がそびえていたことが、その名称の由来であるそうです。
塚の全景
一本松塚の全景
 塚の構造は方形3段築成で、底面規模は24.0m×23.5m、高さ3.6mほどの大型の塚です。頂部標高は76.9mです。
 南部の平野馬頭塚小草畑棒平三山塚のように、塚の盛土内にはあまり遺物は見られませんでした。銭12枚とかわらけ小皿1枚のみがわずかに出土したのみです。しかし、基底部の中央に土坑があり、底面に粉状の骨もしくは灰が検出されました。その上にかわらけ小皿50枚が投入され、さらに少し埋めた後、常滑焼の壺(高さ25.4cm)が据えられています。
カワラケと壺の出土状況
塚基底部の土坑から出土したカワラケと壺
 壺の中には、藁紐や紙紐で綴られた寛永通宝751枚が納められていました。それらの寛永通宝は概ね6枚1組で綴られていました。そして、中に土が流入していなかったことから、木質の蓋(腐って消滅)がされていたと推定されます。
壺内の寛永通宝
壺に納められた寛永通宝
 塚内から出土した寛永通宝はすべて「古寛永」であったことから、新寛永通宝(文銭)が鋳造され始めた寛文8年(1668)以前には塚が築造されたということであり、17世紀前半まで遡る可能性を示唆しています。
 房総における三山信仰でも初期の塚であり、現状では市内最古の塚とみられます。

『市原市新生荻原野遺跡』財団法人市原市文化財センター 1998