遺跡ファイル

平安時代〜鎌倉時代 姉崎宮山遺跡 あねさきみややまいせき
遺跡内にある御社2号墳(経塚か)出土の陶器群
 東京湾岸を見下ろす台地上、姉ア神社の境内地を占める遺跡です。

 姉ア神社は古代の式内社として知られていますが、中世には鎌倉幕府と関係があったようで、幕府の公式記録『吾妻鏡』建永2年(1207)年2月11日条に、姉前社住人兼祐が鶴岡八幡宮の神人に補任されたことが記載されています。
 その後も『小笠原文書』・『覚園寺文書』などの記載から、社領の成立に国衙が強く関係し、室町時代まで国衙による維持管理が行われていた可能性が高いことなどが読み取れます。
 また、神社南東に「馬場」という字名が残ることから、中世後期においても姉崎地域の中心となるような権威・権力を維持していたようです。

 中世における姉ア神社の具体的な姿は明かでありませんが、昭和60年(1985)に(財)市原市文化財センターが380uを発掘調査し、中世前半期の掘立柱建物跡3棟などを発見しています。
 調査範囲が狭いにもかかわらず中世前期のカワラケが一定量出土したことから、片又木遺跡上総国分僧寺に類するような状況が想定されます。
 なお、境内には小型の円墳が3基あり、近世には塚として利用されています。
 このなかの1基である御社2号墳からは、墳丘の崩落部分から常滑産広口壺渥美産壺片口鉢が発見されており、平安末期の経塚だった可能性が高くなっています。

『市原市姉崎宮山遺跡・小田部向原遺跡・雲ノ境遺跡』 (財)市原市文化財センター 1991年
『市原市姉崎東原遺跡C地点』 (財)市原市文化財センター 1994年
「房総における中世的土器様相の成立過程」 笹生 衛 1989 『史館』第21号 株式会社弘文社 所収
『市原市埋蔵文化財調査センターホームページ』 「更級いちはら紀行 私も歩んだ?平安の夢路 姉ア神社の路No.34」 2007
常滑広口壺 渥美壺 渥美片口鉢