奈良・平安時代 | 荒久遺跡 あらく | |
上総国分僧寺跡の東側に隣接するため、この造営や運営に関わった集落とされています。類例には上総国分尼寺附属の坊作遺跡が知られています。ちなみに国分僧寺域東南部の掘立柱建物群が、僧寺造営・運営関係の役所として荒久遺跡集落を統括したのではないかと考える説があります。 遺構は少数の掘立柱建物跡のほかは竪穴建物跡が中心ですが、特殊な集落であるためか、際だった優品が多く発見されています。二彩鉢や猿投産の灰釉花雲草文浄瓶、東日本では希な初期貿易磁器である越州窯青磁椀、ケイ州窯(ケイは刑の左におおざと)白磁椀などの出土が特筆されます。 上総国分寺台遺跡調査団1976『南向原−上総国分寺台遺跡調査報告II−』 (財)千葉県史料研究財団1998 『千葉県の歴史』資料編 考古3 市原市教育委員会2011『市原市荒久遺跡B・C 地点』 |
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