遺跡ファイル

縄文時代後期〜晩期 西広貝塚 さいひろかいづか
 西広貝塚は台地の上に形成された大規模な縄文時代の貝塚です。国分寺台地区の東南隅、現在の国道297号線と市役所通りがぶつかるT字路の南西部にあたります。遺跡範囲は、人物埴輪で知られる山倉古墳群と一部重なっています。
 遺跡は直径が150m近くある馬蹄形の大型貝塚です。ムラの周りに食べかすの貝殻などが捨てられ続けた結果、分厚い貝殻の層が居住域の平坦部を取り囲むように堆積しています。もっとも古い層からは加曽利E式末期の縄文土器が出土しますので、貝層上の遺物包含層で見つかる荒海式までのおよそ1500年間、断続的に人が暮らしていたようです。
 貝層中からは、動物の骨・角でつくられたアクセサリーなど様々な遺物と自然遺物(魚・鳥・動物の骨)、そして人骨が発見されます。道具などのゴミが捨てられるところに人の遺骸もあったというと変な感じもしますが、これはそれほど珍しいことではありません。縄文時代の貝塚は、現代日本人の思う単純なゴミ捨て場という感覚でとらえてはいけないようなのです。西広貝塚の場合では50体前後の埋葬人骨が検出されていますので、墓場を兼ねる性格を持っていたと考えられますし、また、特殊な石器や土製品が見つかることからすると何かの儀礼につかわれる祭場でもあったのでしょう。
 10年間継続した貝層の整理・分析作業は2006年度で完了し、その成果として最後の報告書を刊行しました。全体を持ち帰った貝層を対象におこなった水洗・選別作業によって、多種・多様な人工遺物・動物遺存体を確認することができ、縄文人の暮らしを考える上で重要な情報が得られました。
 報告書の成果は、冊子『発掘いちはらの遺跡2』でも取りあげています。ぜひご覧ください。

『西広貝塚』上総国分寺台遺跡調査団1977年
市原市西広貝塚II』 (財)市原市文化財センター 2005年
市原市西広貝塚III』 市原市埋蔵文化財調査センター 2007年
発掘いちはらの遺跡』2号 市原市埋蔵文化財調査センター 2008年