いちはら学
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? I’Museum40①市原市の誕生②現在の市原市これからの市原市は、どのようなまちを目指しているでしょうか。★これからの市原市がどんな市になってほしいか、自分の考えをまとめよう。★ここまで見てきた市原市の歴史のなかで、特に興味のある事こと柄がらを一つ取り上げ、レポートにまとめよう。1889(明治22)年から続く市原郡21町村は、戦後の地方自治諸制度の改革により1954(昭和29)~1956(昭和31)年に市原町・五井町・市津村(のち市津町)・三和町・南総町・加茂村・姉崎町の7町村になりました。その後、臨海部の埋め立てによる農業から工業化への急激な産業変革が起こるなか、広域行政のなかでのさらなるまとまりが必要となりました。1957(昭和32)年から市原郡北部五町市制促そく進しん委員会等の協議が重ねられ、1963(昭和38)年、人口7万2788人、面積185㎢の「市原市」が千葉県下19番目の市として発足しました。さらに、1967(昭和42)年10月1日には南総町、加茂村を編入して、総面積362.69㎢、総人口12万5475人の県内第一の広域都市となりました。現在の市原市は、都心から50㎞圏内、東京駅、羽田・成田両空港まで約60分という交通の利便性が高い市となりました。立地を生かし、石油化学工業をはじめとする大手企業が多数進出する一方、市南部には水と緑豊かな里山の風景が広がるなど、エリアごとに異なる魅力を持つ都市であることを全国に発信しています。2023(令和5)年10月1日現在、人口約26万9000人、世帯数約13万世帯となっています。(14)市原市の誕生  -昭和③・平へい成せい・令和時代-1989年に平成に入り、日本経済は低迷期を迎えました。また、情報化、グローバル化、少子高齢化の急速な進行や、新型コロナウイルス感染症しょうの世界的な流行が、社会や経済に大きな影響を与えました。

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