いちはら学
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?文海進じょうもんかいしんI’Museum14①旧石器時代の人々②縄旧石器時代の人々はどのような生活をしていたでしょうか。1)ホモ・サピエンス私たち「現生人類」を意味する人類学上の学名。「新人」ともいう。★なぜ、頁岩や黒曜石が石器の材料として使われたのか、調べよう。★市原市内にある旧石器時代の遺跡を挙げよう。人類が石を打ちくだいただけの打製石器を用いた時代を旧石器時代といいます。この時代、人々は尖せん頭とう器①やナイフ形石器②などを棒の先せん端たんにつけ、ナウマンゾウやオオツノジカなどの大型動物③を狩かって生活していました。市原市にある草くさ刈かり遺い跡せきでは、約3万5000年前の武む蔵さし野のローム層上部から石器が出土しています。また、草刈遺跡や海かい保ほ広ひろ作さく遺跡などからは、嶺みね岡おか山地の頁けつ岩がんなど房総半島南部の石材だけでなく、長野県や神こう津づ島の黒曜石、北関東や東北南部の頁岩など、東日本各地④の石材を使用した石器が出土しています。これらがまとまって出土する「ブロック」は、獲え物ものや食料を求めて移動を繰くり返す複数の家族集団が集まった狩しゅ猟りょうキャンプ地であり、石器づくり、情報や物資の交こう換かんが行われていたと考えられています。約2万9000年前、南九州の姶あい良ら火山が噴火し、動植物相が大きく変化しました。ナウマンゾウなどの大型動物が急速に姿を減らしたことから、狩猟対象がシカやイノシシなど移動範はん囲いの狭せまい中小型動物に変化し、より定着性の高い生活へと変わっていきました。地球は、約10万年周期で寒冷な氷期と比ひ較かく的暖かい間かん氷ぴょう期きを繰り返 しており、最も寒冷化が進んだ約2万3000年前は、海水面が現在より100m以上低く、東京湾わんは陸地でした。また、関東平野には落葉広葉樹と針葉樹が混ざった森林と草原が広がっていました。約1万2000年前から気候が急激に温暖になり、海水面が上じょう昇しょうします(「縄文海進」)。温暖化は約6500年前にピークを迎え、関東地方の内陸部まで海が広がりました。これ以降、徐じょ々じょに海は後退し、現在の地形⑤になっていきました。(1)氷ひょう期きを生きた人々 -旧石器時代-約4万年前、日本列島にホモ・サピエンス1)が到とう達たつし、日本の旧石器時代が始まりました。約3万5000年前には、いちはらの地でも人々が生活していました。

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