平成5年度から文化庁の「地域中核史跡等整備特別事業」として、回廊の復元事業を開始しました。
平成5年度から6年度にかけては設計や材料の調達・加工が行われ、7年度から8年度にかけて遺構盛土の上に復元回廊を建設しました。
復元工事は、現存する古寺や遺跡を参考に奈良時代の建築様式を再現し、古代の建築技法を用いて行いました。

復元回廊写真
96本の回廊の柱は、樹齢100年以上のヒノキ(木曽桧)を使い、材の結合部として強度を要する大斗にはケヤキ、耐水性を要する部分にはヒバを使っています。
柱を支える礎石は、上総国分僧寺の礎石を参考に、蛇紋岩にしました。直径が約60センチメートルから70センチメートル、厚さは約30センチメートルあります。
現在、房総の蛇紋岩は切り出されていませんので、秩父産のものをしました。
礎石の凹凸に合わせて柱の接合部分を削って合わせる方法を「ひかり付け」といいます。石の表面に赤い粉をかけ、柱を乗せます。
凹凸が合わない所は赤い粉が付き、そこを削って調整するという作業を何度も繰り返します。

ひかり付けの様子1

ひかり付けの様子2
古代の寺院建築は、貫き構造(柱と直交する方向の部材の組み合わせ)に特徴があります。
内法長押は、柱の上で柱間をつなぐ横材のこと。
今回、木材の仕上げには槍やりの穂先に似たヤリガンナ(写真右)を使って仕上げました。

内法長押とヤリガンナ作業1

内法長押とヤリガンナ作業2

虹梁を架ける
いよいよ屋根を支える組物が柱の上に載ります。
まず柱の頭に大斗を置きます。大斗は屋根の重みがかかるため、堅いケヤキで作ってあります。
次に虹梁が載ります。虹梁は虹のように上方に反っていますが、これは水平な直線とするよりも力強い感じを見るものに与えます。
梁が下に垂れ下がって見えなくする視覚効果を持ち、寺院建築の特徴の一つでもあります。

回廊を支える四隅の虹梁
回廊はコの字型の建物が対称となった形で、金堂(仏像の安置されたお堂)と中門を囲んでいます。そして、折れ曲がるコーナー部分は建物の構造上大変重要な部分です。
回廊の隅を見上げると斜めに虹梁が載っていて、これを隅虹梁といいます。蟻継ぎという組み方で建物の強度を増しています。
これら虹梁の上には、手と手を合わせた形のような叉首、そして肘木、棟桁が載ります。

連子窓
回廊の外側は壁が回り、内側は柱の列が並びます(このような回廊を単廊という)。
直径30センチメートルの柱が96本使われ、梁行(注釈1)1間(注釈2)、桁行(注釈3)が25間の規模となります。
壁には古代の窓である連子窓があります。
連子窓に納まっている木を連子子といい、接合凸部を木づちでたたいて締め、木の復元力で固定する力を強める、木殺しという方法を用いて組んでいきました。
(注釈1)梁行とは、屋根の稜線と直角方向の柱間数をいう。
(注釈2)柱と柱の間を「間」と数える。
(注釈3)桁行とは屋根の稜線と同じ向きの柱間数をいう。

屋根の下地を組む
いよいよ屋根を造っていきます。
虹梁叉首上の棟木と平行の軒桁の間を垂木でつなぎます。
垂木は水に強いヒバの木を1,000本以上使用しています。
屋根を美しく見せる勾配は、垂木の反り具合で決まり、実物と同じ大きさの型板をあててつくりました。
垂木の上には化粧板を張り、屋根裏とします。

土居葺き作業
屋根の裏板の上には、水に強く桶などによく使われるサワラの薄板をリズミカルにトントンと釘を打っていく「土居葺き」が施されました。
瓦と屋根の裏板の間にある土居葺きは、瓦から漏れる雨水などが屋根の裏板まで届かないようにする防水の役目をしています。
土居葺きが終わるといよいよ瓦葺き作業です。
平瓦の幅に合わせた瓦桟が屋根に付けられていきます。
いよいよ屋根に瓦を葺きます。
丸瓦、平瓦をはじめ、軒先に使われる蓮華文様の軒丸瓦、唐草文様の軒平瓦など合計で44,765枚使用しました。
屋根に載せる前に1枚1枚瓦のゆがみを確認します。瓦は軒平瓦から葺きますが、茅負に軒平瓦があたる部分を削って合わせて載せます。
次に平瓦を重ねて葺き、軒丸瓦、丸瓦、最後に棟瓦を葺きます。
瓦については、こちらのページもあわせてご覧下さい

本瓦葺き

蓮華文軒丸瓦、唐草文軒平瓦(上総国分尼寺跡出土)

土壁の構築
漆喰で塗られた土壁は、芯に杉の板で組んだ小舞を古代と同じ縄の縛り方で固定し、荒壁と呼ばれる藁スサや砂を混ぜた土を塗り、荒壁の表面には、綾杉文の刻みを入れ、土を均一的に乾燥させ、中塗りがよく食い付くようにします。
最後に塗る漆喰は、貝を粉にした貝灰や石灰岩に和紙や麻の繊維をよく混ぜたものに海藻から煮出した糊を合わせて塗りました。
回廊は中門と同様、顔料を用いて当時の色を再現しています。
木材の主要な部分に使われている赤い色は第二酸化鉄からとった弁柄と呼ぶ顔料、連子子の緑色は銅からとった緑青、屋根の裏板は白い貝を粉にした胡粉が塗られています。
これらの顔料に牛乳などが原料のガゼイン溶液にとかし、塗っています。
手でこするとはがれてしまうので、絶対に触らないでください。また、衣服などに付くと色がとれませんので見学の際は気を付けてください。
顔料については、こちらのページもご覧下さい

塗装作業

赤色顔料(祇園原貝塚出土)

甎敷き作業
いよいよ完成間近の回廊。
中門や回廊、金堂の基壇には、土の崩れを防ぐため瓦が積まれます。そして、基壇の表面には、瓦と同じ材料で正方形の甎と呼ばれる瓦の一種が敷き詰められます。
甎も瓦と同じようにゆがみなどをチェックし、布敷きと呼ぶ敷き方で一列ごとに目地(継ぎ目)が食い違うようにして甎と甎を合わせながら作業します。
甎は回廊で8,833枚、金堂で3,622枚使用しました。

復元中門・灯篭
中門と金堂、回廊で構成される部分を金堂院ともいいます。
回廊で囲まれた内庭部分は仏地ともいい、寺院の中で一番神聖な場所です。
上総国分尼寺跡の仏地の面積は、1280平方メートルあり、中央には瓦敷きの参道と高さ2.7メートルの青銅の表面に漆を塗って金箔をはって仕上げた灯篭を再現しました。
また、須弥壇(注釈1)まで再現された金堂基壇の面積は579平方メートル、基壇の周囲には当時と同様に瓦積みを再現しました。
(注釈1)須弥壇とは本尊(仏像)を安置するために一段高く作られた場所をいう
歴史のまち・いちはらの象徴として(復元建造物の完成)

復元建物でのイベントの様子
今回復元した回廊は、中門折れ回り25間、東側75.7メートル、西側76.5メートル、梁間1間で3.75メートルの規模を持った単廊で、屋根までの高さは約5メートルです。
また金堂や中門と取り付く部分の屋根の勾配の美しさや破風に取り付く懸魚などの細部意匠や古代の釘を使用し、木材のヤリガンナ仕上げを施した復元建造物は、当時の建物の真上に建てられ、天平文化の特徴を私たちに伝えてくれます。
現在、史跡上総国分尼寺跡では、復元された建物と展示館を中心に、文化財に親しむ各種の事業を催しています。
古代の釘などについては、こちらもご覧下さい
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史跡上総国分尼寺跡復元建物の改修工事について
本大震災で被災した史跡上総国分尼寺跡復元建物が、平成25年度装いも新たによみがえりました。