乳母(めのと)
当時の貴族社会では、実の母が子に授乳することはなく、乳母の乳を飲ませ養育しました。「うば」とは子供側からの呼び名で、一般には「めのと」と呼ばれます。
 信頼できる親しい家来の一族から迎えられるのが普通なので、私の乳母もそうだったのでしょう。
 私にとっては実際に育ててくれた優しい「ママ」であり、いつも甘えていました。上総で妊娠しますが、夫を亡くしてしまいます。寛仁4年(1020)秋の帰京時、下総・武蔵国境にある「まつさと」(今の松戸あたりかしら)で出産しました。当時お産は「ケガレ」でしたから、乳母だけ離れ、別に上京することになったんです。
 私、乳母が恋しくってたまらず、一家が「まつさとのわたりの津」の渡河準備を夜通し進めるなか、こっそり抜け出してお見舞いに行ったんです。粗末な荒屋で苦しそうに伏す乳母は、降り注ぐ月光のせいか、こよなく美しく見えました。私の髪をかきなでながら泣く乳母。とても見捨ててなんて行けないと思いながら、兄に引かれて仕方なく別れました。しかしこれが、乳母との最後の別れになってしまったんです‥。
 翌年の春、都で流行った疫病で、乳母はあっけなくこの世を去りました。私はショックでひどく泣き暮らし、大好きな物語を読みたいという気も失せてしまったほどです。
  散る花もまた来む春は見もやせむ
       やがて別れし人ぞ恋しき

(散る桜も春がめぐればまた見られるでしょうに、永遠の別れとなってしまった乳母が、なんと恋しいことか)
 乳母の出産については、『更級日記』に「境にて子産みたりしかば離れて別にのぼる」と見えます。「境」とは国境のことで、当コーナーでは「まつさと」での出産と捉えましたが、文体が過去形であることなどから、上総・下総国境近くの「いまたち」出産説もあります。菅原孝標の女の乳母
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