高階成行の女(たかしなのなりゆきのむすめ 継母)
この人は実の母ではなく、父が上総介になる少し前に結婚した第二夫人です。実の母は近所に出かけるのも面倒がるような人ですから、上総なんて、とてもとても‥。しかしいろんな意味で私たちを養育できる母親が必要でしたから、父は継母を連れて上総に下ったんだと思います。
 え?二人も妻がいるのはおかしい!? 今じゃそのようですね。でも当時の貴族社会では、男性が複数の女性と婚姻関係を持つことは普通だったんです。まあ、妻同士の嫉妬は凄いものがありましたけど(その辺は叔母の書いた『蜻蛉日記』を読めばよくわかります)。
 皆さんが「ママハハ」って聞くと、何だかつれないイメージを持たれると思うんですが、この人と私たち姉妹はとっても仲良しでした。
 私が源氏物語などの世界に憧れ始めたのは、継母と姉の影響でしたし、当時の教養として欠かせない和歌の詠み方もいろいろ教えてもらったっけ。なにせ家を出たことのない実母とちがい、後には後一条院中宮様にお仕えしたキャリアウーマンでしたから。優れた家庭教師でもあったわけです。
高階成行の女(菅原孝標女の継母)
 上総での生活が終わり、都に帰ってほどなく、継母は5歳になる子を連れ、父と離婚してしまいます。
 継母にとっては、田舎での生活が我慢できなかったのでしょうか。
 それとも実母と仲が悪かったのか?
 あるいは、のんびりした父とは性格的に合わなかったのかも知れません。

 その頃の私には大人の微妙な関係など理解できようもなく、あまりもの悲しみに泣き暮らしたことを覚えています。でもその後も、和歌のやりとりなど交際を続けたことは言うまでもありません。
継母を想う
継母は女流歌人としても知られ、『後拾遺集』に選歌されています。
 ニックネームの「上総大輔」は、夫だった父孝標の官職に由来するものです。ある日父が、「他の男と再婚したのに、まだ私の官職名を名乗っているのは不都合じゃないか」と言うので、文通している私が、父に代わって抗議の歌を送ったこともあります。
 『更級日記』の記載では、継母の離婚後も作者と和歌のやりとりが続きます。継母は作者の姉が亡くなった時も、和歌を寄せています。おそらく作者と継母は離別後も交際を続けたのではないでしょうか。孝標はそれを踏まえた上で、別れた妻へのやんわりとした抗議を娘に頼んだのかもしれません。
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