わたしたちはとても仲むつまじい姉妹でした。姉は読書好きで、上総国司館では継母といっしょに、いろんな物語や光源氏のことなどを楽しそうに語り合ってました。二人の会話を聞くにつけ、「はやく都に上って、ありったけの物語を読んでみたい」と思ったものです。
 そうそう、帰京してからのことですが、家に迷い込んだ猫を「飼おう」と言ってくれたのも姉です。姉はこの猫を、お亡くなりになった侍従大納言(藤原行成様)の姫君の生まれ変わりだなんて言い出して、それはそれは可愛がってました。このような浪漫的な空想も、物語への愛着も、私たち姉妹は似てましたね。
 でもね、帰京後のわが家は、悪い事ばかり続いちゃって、治安3年(1023)には家が火事になり、愛猫「大納言の姫君」も焼け死んでしまいます。
 姉は上総から帰京してほどなく、男の人を通わせるようになりましたが、あまり幸せではなかったのでしょうか。
 ある日のこと、二人で夜空を眺め語り合っていると、姉は突然、「私が今、行方もわからず飛び去ってしまったら、あなたはどう思うかしら‥」なんて言うのです。私、びっくりしちゃって‥。ちょうどその時、隣屋敷に住む「荻の葉」お嬢様のもとに通ってきた車がありました。車の人はお嬢様を呼びましたが、返事がありません。彼は趣深く笛を吹くのですが、それでも返事がなく、あきらめて帰っていきました。私が
 笛のねのただ秋風と聞こゆるに
    など荻の葉のそよと答へぬ

(笛の音は秋風のように趣深く聞こえるのに、なぜ荻の葉はそよがない《「はい」と答えない》のでしょうか)
と歌うと、姉は「ほんとにね‥」と言って
 荻の葉の答ふるまでも吹きよらで
    ただに過ぎぬる笛のねぞ憂き

(荻の葉が答えるまで笛を吹き続けようともしないで、そのまま行ってしまった人こそつれないのではないでしょうか)
と答えました。
 今思えば、姉は夫に対する不満を詠んだのでしょうか。恋愛経験がない当時の私には、複雑な姉の気持ちをよく理解できませんでした。
 翌年の万寿元年(1024)、姉は子を産んで亡くなりました。姉の言葉は、あまりに悲しい現実となってしまったのです。
菅原孝標の女の姉
上総にいた頃の姉
大納言の姫君愛猫「大納言の姫君」
姉と妹
菅原孝標女姉妹
 姉の結婚については『更級日記』に記されていません。姉が亡くなったとき、作者が遺児2名を寝かしつける描写があるため、上総から帰京後、さほどたたずに結婚したと思われます。姉の恋愛と結婚は、作者にとって最大の関心事であったはずですが、何か特別な感情があり、あえて記載しなかったのでしょうか。
 作者は遺児を養育しますので、姉の夫とも交渉があったはずですが、その経過も『日記』には見えません。
 この事件が作者の人生観や運命を大きく変えたことは事実のようで、婚期が大幅に遅れたのも、遺児の養育が原因と思われます。
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