このページの先頭ですサイトメニューここから
このページの本文へ移動
  • くらしの情報
  • 子育て・教育
  • 健康・福祉
  • 市政情報
  • 文化・スポーツ
  • 観光・魅力・産業
サイトメニューここまで

本文ここから

平成28年度がん予防講演会を開催しました

更新日:2016年10月27日

がん経験者による体験談などを通じて、がん予防のために、がん検診を受けることの大切さを認識していただくために、講演会を実施しています。

平成28年度がん予防講演会を開催しました(平成28年10月23日)

演題:「走る意味~がんサバイバーからの提言」
講師:金哲彦さん(プロ・ランニングコーチ)
会場:市原市勤労会館 多目的ホール

講演会レポート

○「梨組」登場!
講演本編に先立ち、ボランティアグループ「ここから劇団「梨組」」のみなさんが、大腸がん検診を題材にした寸劇を披露してくださいました。
決しておひねりは投げないでください~との導入から、終始笑いに包まれた中にも、便鮮血検査で陽性になった場合に、自分で出欠の原因が痔によるものではないかと判断して内視鏡検査を受けないなんてことがないように、と分かりやすく伝えてくださいました。
その後、普段は相模原市を中心に活動されているRUUさんに、3月に続きお手伝いをいただきました。RUUさんには進行のお手伝いの他に、ミニライブとして歌を歌っていただきました。

○講演
冒頭、「今日はアクアラインマラソンがありましたが、走って来た方、いらっしゃいますか?」
「・・おおっ、いたいた(笑)お疲れさまでした。どうでした?」
「チョー気持ちよかったです」
というやりとりから始まりました。
普段、ランニングを趣味にしている方の聴講も多かったようです。小出(義雄)監督とのエピソードも少し交えながら、生活習慣の改善の必要性についても触れ、話は進んでいきました。
・ガンになるまで
子どもの頃は、まだマラソンをやっていませんでした。大学の頃は、ケガ以外では病院に行った記憶はありませんでした。その後、コーチをやって、市民ランナーになって、2005年にガンが発覚しました。前の年まではフルマラソンを楽しく走っていたという、そんな状況でした。
そして2006年いきなり・・(※病院のベッドに横たわる写真が出てきました。)
私は今でも不思議でしょうがないんですけれど、2005年にフルマラソンを走っていまして、そして2006年8月に手術をしたんですけれども、その前の7月にハーフマラソンの大会に出て、1時間35分くらいで走っていたんです。その日の帰りの新幹線の中で大量に下血をして、おかしいと思って成田の病院に行って調べてもらったら、大腸がんのステージIII(3※リンパ節に転移するレベルで、III・A(転移量が比較的少ない)という診断だった)と言われたんです。
いきなりガンになった訳では絶対ないと思うんですよ。
・ガンという病気の不思議さ
健康に走っていた人が翌年に病院に行って手術をしなければいけない。これがガンという病気の不思議さです。風邪を引いたら何となくだるくなるのに、ガンというのは、ガン細胞はどんどん大きくなっても、かなり大きくなるまで自覚症状が出ない、痛くも何ともないんです。
2005年の後半だったでしょうか、左の下腹部を触るとグリグリと異物感はあったのですが、特に痛くもないのでそのまま病院にも行かず放っておいたんです。
医師からは「ステージ3ってかなり大きなガンなので、ここまで来るのに、多分3~4年以上はかかっているでしょう。なんでこうなるまで放っておいたのですか」と怒られました。 
人間ドックや自治体の検診でもあると思うんですが、私も大腸がん検診の「便潜血検査」を受けて陽性だったんです。でも、痔だろうって決めつけていて。毎年何年か陽性って続いていて、それをずっと放っておいたんです。確かに自分の大失敗なんです。自分がその年齢で大腸がんだなんて微塵も思っていませんでした。
あるとき便秘になったり下痢にもなったりして、それでもマラソンも出来るし酒も飲めるし、他の病気と違ってほったらかしてしまう恐れがあるというのが、私が経験してみて他の病気とガンとの大きな違いと言えます。
・術後、しばらく隠していました
実は、術後しばらくは、ガンのことは隠し続けていました。周りの人たちに心配をかけるのもありますが、「あいつガンになっちゃったよ」って言われることが、哀れみを受けるようで、また、人生の敗北のように思えて、イヤでイヤで仕方なかったんです。結局、2つの仕事をキャンセルした以外は全てこなしました。
ガンって結構考える時間もある病気ですので、自分が死んだ時のことも考えながら生活をしていくこともありました。手術後の半年ごとの内視鏡の検査のたびに、またガンが出て来たらどうしようとドキドキしていました。
・走る意味
私が死を意識したときは、まず、自暴自棄になりました。死んでしまうなら好きなことやっていたいと。そして、ひょっとしたら自分自身に残された時間は少ないかもしれないと思って、1日1日がとても愛おしくなりました。今出来ることをちゃんとやっておきたいなという気持ちになりました。
手術は成功したんですけれども、そういう気持ちを受け入れて、(死を受け入れた訳ではないんですけれど)覚悟もしました。
最初は死にたくないという気持ちだったんですけれど、だんだん「死んでたまるか」という意地みたいなものに変わりました。何かにエネルギーを求めないと元気にならないので、ちょっとずつ走り始めました。
すると、驚くことに、寝ても覚めてもガンのことしか考えていなかったものが、たった10分間のジョギングで「気持ちいいな、空気もいいな、緑もきれいだな」と闘病生活のことを忘れることができました。ちょっとでも忘れることが出来たことで、頭の中がすごくスッキリしました。そこから、「あーやっぱり走ることっていいな」と思って、私は、生きるエネルギーを走ることに求めていきました。
走った後は疲れますし、お腹も痛くなります。そのこと自体が、自分も生きてることを再確認出来て、不思議と死の恐怖がなくなりました。
また、闘病生活中に、自分の持っているものを残しておきたくて、市民ランナーがフルマラソンを走るために練習するための本として「3時間台で完走するマラソン」という本を書き残しました。
・術後11ヶ月でフルマラソン完走
10分間くらい走ることから気持ちよさを感じて、そこから2007年の2月くらいから、ちょっとずつ走れるようになってきました。
毎年7月にオーストラリアのゴールドコーストのマラソン大会にツアーの仕事で行っていまして、この年はまともに走れる状態ではなかったんですけれど、ゴールドコーストに行きました。
ツアーの人にもガンの手術のことは隠していましたので、前日に「金さん、明日のレースは走りますか?」と聞かれました。手術後、それまで10キロくらいしか走ったことなかったので、ちょっと無理かもしれないけれど、「待てよ、ようやく1年近くたって再発もしていないし、もしフルマラソンを完走したら自分にとってものすごく自信になるかもしれない」と思って、無謀にも「明日フルマラソン走ります」と言ってしまいました。
走ってみると、20キロ手前まではゆっくり走れましたが、やっぱり練習していなければただの人(笑)、膝が痛くなってきました。30キロ過ぎたら激痛になって来て走れなくなりました。残り12キロは脚を引きずりながら周りの人に顔が分からないようにしていました。プロコーチをやっている人が普通なら恥ずかしいのですが、脚が痛くなるまで来られて、逆にすごく嬉しかったです。
そして何とか時間内に完走出来そうなメドが立ったので、気持ちも乗ってゴールすることができました。5時間42分は自己ワースト記録です。
・術後3年でサブスリー(3時間を切る)、そして公表
ゴールドコーストマラソンの完走をきっかけに、とても元気になり、2009年にはフルマラソンで3時間を切るまでに回復しました。年1回の内視鏡検査のたびにドキドキしていましたが、トレーニングに没頭することでガンの恐怖を忘れることができ、ガンによるストレスもなくなっていきました。
もし3時間を切ることが出来たら、ガンになったことを公表しようと決めていました。
1つは同じ病気をしている人を勇気づけたいと思っていましたが、もう1つは、それまで自分の人生は敗北だと思っていましたので、「あいつはまだ死なないな」(笑)と思ってもらえるだろうと。
そういう気持ちを持って走って、2009年、フルマラソンで3時間を切ることができ「ガンでもサブスリー」と公表しました。
・51歳でもサブスリー
ガンの心配も少なくなってきて、今度は加齢への挑戦をしたくなりました。NHK-BSの「ラン×スマ」の企画で、去年(2015年)の大田原マラソンで、2時間57分で走ることが出来たんですけれども、その時に「エイジングしてもサブスリー」と出してしまいました。
そうしたら、「次は、金さん、60歳でもサブスリーですね」とプレッシャーをかけられまして(笑)もう無理だなと思っていますけれど(笑)
・結びに
私の場合には、幸いなことに、マラソンを走ることによって、肉体的にというより精神的に救われました。1つのことにチャレンジすることで、ネガティブなことに囚われないで済み、特に最初の10分走ったことが、今でもものすごく大きいです。起きている間中ずっとガンのことばかり考えていたのに、走っている間だけ忘れることが出来たのがどれほどすっきりする要因になったのか知れません。
「キャンサーギフト」という言葉があって、私の場合は、ガンになったことによって謙虚になれたし色々な新しいことを知ることが出来て、何よりも時間の大切さを知ることが出来ました。それを「ガンからの贈り物」として受け止めることが出来ました。

と締めくくられました。

○質問コーナー
講演のあとは、金哲彦さんとRUUさんのトークと質問に移り、あらかじめ募っていたものから、いくつか金さんに質問をしていただきました。
テレビを見て笑っている時間を作るだけでも精神的に楽なることや、周囲が病人のように本人に接していると逆に本人が心配をかけているなと思ってしまうこと、「腹筋はきれいに切ってください」と手術の際にお願いしたエピソードなど、ご本人の体験を基にお話ししてくださいました。

最後にメッセージとして
「皆さんには、ご自身も含めて検診もやっていると思いますが、陽性と出たら必ず精密検査を受診してください。」
「自分も最初の陽性の時に内視鏡を入れてしまえば、大した手術もなく終わっていたかもしれませんでした。放っておくと痛い思いもするし、もうちょっと手遅れなると命がなくなっていたかも知れないので、そういうところは、ご自身も含めて周りの皆さんにも甘くしないようにした方がいいと思います。」
といただきました。

~来場者アンケートから~

・退院して10分のランニングで空気や景色に感動したとの事。全く同感です。(70代以上男性)
・がん患者の心理の細かい動きを具体的に分かりやすく話してくださり、とても体験者としての講演は素晴らしかった。(70代以上女性)
・RUUさんの歌心にしみて素敵でした。人間性が伝わってきました。(70代以上女性)
・「ガンからの贈り物」良い言葉です!私も同感です。(70代以上女性)
・とてもすごくガンのことについて分かりました。ガンになった人を支えたりして生きたいと思っています。(20代以下男性)
・若い人(高校生くらいから)にも聞いてほしい内容でした。(40代女性)
・がん予防の大切さが切実に分かった。(60代男性ほか)
・最近、ランニングを始めて、”走る意味”について考えることがありました。今日の講演を聞いて、自分の健康を維持する大切さ、運動することの大切さに気付かされました。(30代女性)
・金さんのがん体験談は具体的でとても参考になった。よい講演会だった。死の受容の話も身につまされた。自分ががんになった時は頑張ってみようと思った。テレビを通して応援していきたい。(70代以上女性)
・勇気をもって検診は受けるべきだと思いました。(60代女性)
・とても良かった。期待以上であったし、元気の捉え方や意識の改善をしてもらえた。(40代男性)
・はじめの一歩として、ガン後の10分間のマラソンでガンのストレスを忘れた経験がとても参考になりました。(30代男性)
・私も3年前に大腸がんを手術しました。お話の様に体動かすことが今も不安です。でも、お話をお聞きして少しずつ体を動かしてみようと思いました。今日の講演大変参考になりました。(60代女性)
・病気になった時に自分を支えてくれるものを見つけることが大切だと思いました。運動も効果的なので、今やっているジョギングを続けようと思います。コント面白かったです。セリフがよくできていましたね。RUUさんの歌声は実にきれいでした。(60代男性)
・走るのが大好きですが、今、乳がんの治療中で走ることかできません。早く放射線治療を終えて思いっきり走りたいです。(40代女性)
・金さんと同じ病気をしました。今までいろいろ悩んでいましたが、頭の中で整理されすっきりしました。ランニングします!(40代男性)
・発症時、治療の実際、手術後の生活への影響、周囲の方にどのように関わってほしいかについて伺うことが出来て、がんの全体像を想像することが出来ました。(40代女性)
・術後、初めてのマラソンを完走されたお話に感動しました。拍手を送りたい気持ちになりました。(60代女性)

お問い合わせ先

保健福祉部 保健センター
市原市更級5丁目1番地27
電話:0436-23-1187 ファクス:0436-23-1295

このページの問い合わせ先にメールを送る

本文ここまで



以下フッターです。

市原市役所

〒290-8501 千葉県市原市国分寺台中央1丁目1番地1 電話:0436-22-1111(代表)
開庁時間: 月曜から金曜 午前8時30分から午後5時15分(祝日・年末年始を除く)
Copyright (C) Ichihara City. All Rights Reserved.
フッターここまでこのページのトップに戻る