戦国武将 斎藤利三の子孫が住むといわれる片又木
更新日:2020年8月9日
地域のほとんどの方が斎藤さん その歴史
説明する斉藤さん
市原市の片又木に住む人の多くの苗字は斎藤さんです。NHK大河ドラマ『麒麟がくる』との関連性はあるのでしょうか?片又木の知り合いに伺ったところ、歴史に詳しい方に話を伺うことができました。
そこは、戦国武将で、明智光秀の重臣でもあった斎藤利三を先祖に持つとするお宅の斎藤さん。
お話の宝箱を開けたように生き生きと、家紋や斎藤利三が万喜城主の土岐氏を頼ってここに着いたこと、この地を選んだ理由、斎藤利三の娘である徳川政権の安定化に寄与した春日局(かすがのつぼね・お福)のこと、ここが本家でみんな一族であることなど、先祖から聞いている400年の歴史を語ってくださいました。
その後、ご先祖である斎藤利三他の代々のお墓へ。
初代の斎藤利三のお墓の脇には、由来が刻まれている墓誌(文章は下部に掲載)がありました。
斎藤さんのお話によると、斎藤利三は逃げ場所を片又木に決めてあったとのこと。一度はお金を持ってきたが、不入斗も大多喜もすでに人が入っていたため、どこへ逃げるか事前に決めていたそうです。
1989年の大河ドラマで放送された春日局(斎藤福)の写真を見せながら「頭は良かったのかなぁ」と愛着を持って笑う斎藤さん。令和4年に開館予定の「(仮称)市原歴史博物館」の開館を待ち望んでいるようでした。とても楽しんでお話しする姿を見て、多くの方々に「歴史講座」が開かれるのもよいと思いました。
片又木が素晴らしい歴史を持っていること、約400年の間、斎藤利三本家と一族の方々が強い絆でこの地を築いてきた功績にも感動しました。
墓誌
通 齋藤別当實盛ヨリ三十三代目デ当地(片又木)初代、戦国ノ武将デ島羽伏見山崎、本能寺関ケ原ノ合戦ヲシ明智光秀ノ上家老で有リ姻戚デモアッタ。慶長五年関ケ原ノ戦デ光秀公ハ岐阜の藪川で水死シ、利三モ黒毛ノ馬ガ戦死シタ。黒毛ノ動物は運ワルシトシタ。岐阜県郡美山町西洞の山中に光秀公ヲ葬ムリ、利三は美濃ノ国ヲ後ニシ、当地(片又木)ニ渡リ領地トシタ。
通 肥前守 齋藤内蔵助利三 又ハ齋藤治郎エ門トモ伝ウ。
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