<いちはら歴史のミュージアム>第8回フィールドミュージアム検討会
更新日:2020年3月15日
国分寺台地区の基本コースの検討(フィールドワーク)
今回は、観光ボランティア団体「かずさのくに国府探検会」の会長・山本勝彦さんの案内で国分寺台地区の基本コースのフィールドワークを行い、この地に関する貴重なお話を伺いました。今回は、観光ボランティア団体「かずさのくに国府探検会」の会長・山本勝彦さんの案内で国分寺台地区の基本コースのフィールドワークを行い、この地に関する貴重なお話を伺いました。
史跡上総国分尼寺跡展示館と復元建物
この展示館は、フィールドミュージアムとして典型的なモデル。最初に動画で説明し、回るジオラマや係の方のわかりやすい説明も聞ける。市内でこんなにしっかりした場所はないと、ここからスタートした理由を語ってくれました。
回廊と金堂基壇の説明板には「I’Museum」のロゴマークを入れた方がいいことや、復元建物の構造説明図は団体や個人の来館者にも助かると教えてくださいました。
国分寺中央公園
同園内には、縄文時代の大型貝塚の「祇園原貝塚」があり、近くに白い花びらのような貝殻がたくさん散らばって驚き!
「このあたりの遺跡もすごいと思うけど、ここに来て4千年前の貝に触れた方が、フィールドミュージアムとしてはもっと面白いと思うよ!」と笑顔いっぱいに語ってくださいました。普段何も思わないマンホールに描かれているコスモスや、瓦模様のフットライト、山倉1号墳出土の人物埴輪のモニュメントなどを説明していただき、とても良い観光ネタにもなることに気づきました。
上総国分寺跡
七重塔の基壇・心礎である大きな石は、富津市の鋸山から運ばれてきたといわれていますが、どうやって運ばれたのかについて想像することもおもしろい!金堂跡や回廊があった場所だけでもいいから、区分けをした方が良いとアドバイスされ、今も出土する昔の瓦を「さわって体感する!」との言葉に力が入っていました。また、市原市の1つのセールスポイントである「将門供養塔」の話にも、皆さん興味津々。案内板は、もう少しきれいに映えるようにしてほしいと愛着心に満ちたひと言も聞かれました。
神門5号墳・南田瓦窯跡
東日本最古の古墳として全国的に有名な神門5号墳は、市原の宝とのこと。南田瓦窯跡、国分寺修理用の瓦を焼いていましたが、見てもわからないのが残念です。おそらく埋め戻されたと思いますが、「窯の様子がわかるように整備されていればなぁ」と残念がる表情を隠せませんでした。
すごいことばかりの市原市
- 神門5号墳は東日本で一番古い(3世紀)
- 稲荷台1号墳では「王賜」銘鉄剣が出た(5世紀)
- 上総国分寺・国分尼寺は全国でも最大級の規模を誇る(7世紀)
国家成立の画期とされる7・5・3世紀の素晴らしさを市原市は持っており、すごいものばかり!売りとしてもっとPRしてほしいと強調されました。
文学遺産も大事に
市原市は、文学遺産を大事にしてほしいと、更級日記と万葉集をあげました。
一通り説明し終わったのち、山本さんは2つの夢を話してくださいました。
1つは、歌碑の建立。斎藤茂吉著の万葉集歌には、防人の歌が10首あり、そのうち3首が上総の歌で市原の歌が2首。市内で万葉集の歌碑があるのは阿須波神社だけなので、その横にもう2つ歌碑を立ててほしいと、斎藤茂吉の本を片手に持ちながら語る声は、真っ青な空に響き渡りました。
もう1つは、東歌(あずまうた)の場所を整備すること。東歌の冒頭は、市原の歌であり、青柳周辺にこの歌にピッタリの場所があるそうです。そこを整備して死ぬ前に皆さんを案内したいという、締めの言葉には、盛大な拍手が贈られました。ぜひ夢をかなえてほしいですね。
最後に、職員の方から「国分寺台周辺は、市原市の歴史にとって、本当に輝いた時代が色濃く見えてくるところ。尼寺のようにきちんと整備できたところもあるが、国分僧寺の整備まで手が回っていません。ご案内をいただき、いろいろな課題が見えてきました。万葉集や更級日記は不明な部分もあり、書きづらいところもありますが、掘り起こしながら進めていきたいと思います。また、将門のお話を伺う中で、やはり歴史はつながっていると感じました。市内でどんどんつながる流れをつくっていきたいです」と話してくださいました。
今回、観光ボランティアガイドをしてくれた「かずさのくにの国府探検会」のウェブサイト(外部リンク)
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