トップページ
特集・言葉はハート
i style インタビュー
まちづくり用語の基礎知識
▼いちはら道物語
その1
その2
その3
イラスト遊歩
魅惑のArt
i style アカデミー
食 style
JEF's FUN
編集後記 |
いちはら道物語
其之弐 古代船がたどった海の道
市原市の天神台遺跡から発掘された直径20cmほどの弥生式土器。
そこに描かれていたのは、マストに風をなびかせ大海原を航海する大型船の姿だった。
彼らは、何のために何処に行こうとしていたのか。
悠久の時空を超え、海の男たちのロマンが今蘇る。
市役所前の交差点を、養老川に向かってまっすぐ進むと、まもなく、左前方に諏訪神社の杜が見えてくる。 ここは、国分寺台の中でも古い景観を遺す、数少ない名勝の一つだ。大正五年(一九一六)の『千葉県市原郡誌』に、「諏訪の臺」として、「五井町村上神社境内は、高地にして、袖ヶ浦灣内遠く近く點々たる白帆を望み得べく(後略)」と紹介されている。新しい文化や歴史の波は、時としてこの袖ヶ浦湾(東京湾)の向こうから、船に乗ってやって来た。このことを端的に物語っているのが、天神台遺跡の「船の絵」である。
◆壺形土器に描かれた一艘の船◆
諏訪神社境内を取り巻く約四万坪の台地で、縄文時代早期から平安時代の遺跡が密集して見つかった。天神台遺跡・諏訪台古墳群で、昭和四十九年(一九七四)から十五次におよぶ発掘調査が行われた。
「船の絵」が描かれていたのは、壺形土器。弥生時代の終わり、まさに古墳時代へと移り変わろうとする過渡期の物である。竪穴式住居の廃屋に捨てられていたこの土器の絵は、一見すると実に簡素に、無造作に描かれているようにも思える。しかし、よく観察してみると、決して子供のいたずらや想像で描かれたものではないことがわかる。舳(船首)を右に、艫(船尾)を左に向けた構図。直線的なタッチに迷いはない。舳先にたなびくのは三角形をした軍旗であろうか。船体中央には、背の高いマストが伸びる。マストを挟んで、前後に三本一組、二組ずつの棒が描かれている。和船などに見られる竿櫓は、遣唐船のころにならないと現れないから櫂を表現したのだろう。立てられているところを見ると、停泊中であろうか。櫂の数からすると十二人の水手によって繰られた大型船であったことを想像させてくれる。
◆西からやって来た大型船◆
マストには、浜の風を受けて、二本の吹き流しがたなびいているようにも見える。ひょっとすると、帆を畳んだ様子を描いているのかもしれな い。絵の上の部分が欠けてはいるが、帆船であるとも想像される。そのことを裏付けてくれるのが、長いマストと艫(船尾)のところに描かれた十三本目の棒状の線の存在である。この線の中央からは、一本の線が出て船尾に延び、さらに海中へと向かっている。四組の櫂とは、異なった表現になっている。この線は、副舵であろう。副舵とは、帆船が横から風を受けて走る場合に流されないようにするためのものであって、古代の船では、艫の左右に取り付けられる。奈良県天理市東殿塚古墳出土の埴輪に描かれた船の絵にも、副舵がはっきりと描かれている。この船を描いた人には、船体の構造は知る由もない。しかし、私たちは各地の出土資料や船形埴輪などから、この船が複材刳船に舷側板(船の側面のこと)を取り付けた準構造船であったことを知ることができる。
船はたくさんの人を乗せて、海の彼方からやって来たに違いない。伊勢湾辺りから出帆してきたものであろうか。このころから、パレススタイルの壺とかS字状口縁の甕といった、東海西部地域の影響を持つ土器などが、市内でも出土するようになる。

西方から船で運ばれてきたと考えられる市内で出土した土器
[ NEXT ]
|