市民グラフ・いちはら 2002年春 第103号

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桂 正和(かつら まさかず)さん
桂 正和(かつら まさかず)さん ■プロフィール
桂 正和(かつら まさかず)さん
昭和37年、福井県生まれ。父親の仕事の都合で、幼少時、福井県から千葉県に転居。市原には中学生から20歳ごろまで居住する。週刊少年ジャンプ主催の「手塚賞」入選をきっかけに、19歳で漫画家としてデビュー。以来、SF、ファンタジー、ラブコメディーなどの分野で優れた作品を発表し、多くのファンを獲得する。代表作に『ウイングマン』、『電影少女(VIDEO GIRL)』、『I"s(アイズ)』。趣味は、バットマングッズ、スニーカー、アンティークウオッチのコレクション。

中学、高校時代を過ごした市原は漫画漬けの日々で、
思い出といっても特にないんです。
でも最近は、またああいう土地に住むのもいいかなと。


  テレビのヒーローものに熱中
した少年時代。

 桂さんは少年時代の多くを千葉県で過ごした。父親の仕事の都合で、小学生の時に福井県から千葉市村田町へ引っ越し、中学生になるころ、さらに市原市八幡へ移り二十歳ごろまでここで暮らした。
「遊び盛りの小学生時代は千葉市。といっても隣はすぐに市原という場所ですが、周囲はほとんど田んぼで、山も近くにあったりした、そんな環境の中で元気に駆け回ってましたよ」
 そのころ、正和少年の心をとらえたのは、テレビのブラウン管の中で活躍するヒーローだった。地球征服をたくらむ宇宙人や怪獣、悪人をやっつける主人公は、どこまでもカッコよくあこがれの存在だった。
「ウルトラマン、仮面ライダー……ハマりましたねえ。そのころの男の子はみんな同じだったと思いますけど、”ヘンシン!“とか盛んにまねしてましたよ。今思えば、そうしたヒーローたちに夢中になったことが、その後の僕の仕事に影響したかもしれませんね」
 テレビの実写のヒーローものは盛んに見たものの、意外にも、アニメや雑誌の漫画にはそれほどひかれることはなかったという。ただ、絵を描くことは好きで、学校の図画工作の時間に描く絵画はいつも出来がよく、賞をとったりもした。高校時代には美術部に所属したが、将来、絵描きになろうとか、美術関係で仕事をしようとか思ったことは一度もないという。
「将来のことなんて何も考えてなかったですね。いまもそうですけど(笑)。いわゆる絵画を描くのは得意でしたけど漫画はあまりうまくなくて、友だちのほうがうまかったくらい」
作品
(c)桂正和/集英社

  漫画を描いたきっかけは、コンポ
を買うための賞金目当て。

 そんな桂さんが漫画を描こうと思ったのは、中学生のころ。当時、五十万円もしたコンポーネントステレオが欲しかったが、当然買うことはできなかった。そこで目を付けたのが、漫画雑誌「少年ジャンプ」が主催する「手塚賞」。新人漫画家の登竜門として有名なこの賞の賞金が五十万円だったのだ。
「一生懸命描いて、毎年のように応募しました。結局、めでたく入選しましたが、もう高校三年になってました。そのころにはコンポもすでに手に入れてましたし、賞金狙いという目的は消えてましたね。それでも漫画を描き続けた理由は、とにかく描くのが楽しかったからです。高校時代は、勉強そっちのけでとにかく漫画漬けの日々。授業中にまで描いてましたからね。だから、市原の思い出とか聞かれても、”漫画“しかないんですよ」
 将来、漫画家になろうとは積極的には思っていなかったものの、桂さんの作品を気に入ってくれた編集者の鳥嶋和彦さん(現「週刊少年ジャンプ」編集長)の勧めで新しい作品を描き、それが十九歳でのデビューにつながる。高校を卒業して都内の専門学校でデザインの勉強をしていたが、それも漫画の連載が始まり忙しくなったことで中退した。当時はとにかく描くことが楽しくて、余計なことはまったく考えていなかったという。
「プロとして一本立ちしてやっていこうとか、自分の才能で大丈夫なのかとか、そうしたことはぜんぜん頭に浮かばなかったですね。目の前に漫画を描くということがあって、それが好きだからただ一生懸命やってると。デビューしてしばらくはそんな状態でした」

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