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市原市の新指定文化財(平成28年度)

更新日:2017年6月30日

市原市の新指定文化財(平成28年度)

ここでは、平成28年度に新たに指定した文化財を紹介します。

王賜(おうし)銘鉄剣(めいてっけん)

市原市教育委員会は、平成28年5月2日付けで、『「王賜(おうし)銘鉄剣(めいてっけん)』を市指定文化財(考古資料)に指定しました。

保持者・保持団体(所在地)

市原市教育委員会(国立歴史民俗博物館:千葉県佐倉市城内町117)

概要

 「王賜」銘鉄剣は、市原市山田橋の稲荷台(いなりだい)1号墳から出土した銀象嵌(ぎんぞうがん)銘文(めいぶん)のある鉄剣です。5世紀中頃のものと推定されており、銘文のある鉄剣では国内最古として知られ、古墳時代の文字資料として一級の価値を有しています。
 銘文は表裏に見られ、欠落部を含め12文字で構成されていたと考えられます。表面の文章構成は「王賜□□敬□」であり、「王から利刀(りとう)(たまわ)った。(つつし)んで(やすん)ぜよ(王から切れ味鋭い剣を下賜(かし)された。大事に持っていなさい)」という意味合いになると考えられます。
 裏面の文字は「此延□□□□」であり、後半部分にはこの剣を持つことの意義を込めた吉祥句(きっしょうく)が入るものと思われます。
 このように、鉄剣に残された文面は、王から授けられたことを示すものであり、ヤマト王権の王と地方の豪族との直接的関係を示す資料として重要です。
 現在は保存処理を施し、窒素ガスを封入したケースに保管し、佐倉市の国立歴史民俗博物館で管理・展示しています。

新規ウインドウで開きます。市原電脳博物館 「王賜」銘鉄剣 (埋蔵文化財調査センター)(外部リンク)

萩ノ原遺跡出土瓦塔(はぎのはらいせきしゅつどがとう)

市原市教育委員会は、平成28年11月4日付けで、萩ノ原遺跡出土瓦塔(はぎのはらいせきしゅつどがとう)を市指定文化財(考古資料)に指定しました。

保持者・保持団体(所在地)

市原市教育委員会(市原市埋蔵文化財調査センター:市原市能満1489番地)

概要

 萩ノ原遺跡は市原市上高根(かみたかね)にあり、養老川中流域の台地上に位置します。昭和51年(1976年)に行われた発掘調査では、奈良・平安時代の竪穴住居跡(たてあなじゅうきょあと)とともに仏堂(ぶつどう)と見られる建物跡が見つかり、仏教に関連する遺跡と考えられています。また、この遺跡では発掘調査が行われる前から多くの瓦塔の破片が採取されていました。
 瓦塔は粘土を塔の形に作って焼いたもので、仏教に関係する遺跡から出土します。
 塔の頂上を飾る相輪部(そうりんぶ)と屋根にあたる屋蓋部(やがいぶ)、壁にあたる軸部(じくぶ)に分けて(かま)で焼き、これらを組み上げて作ります。萩ノ原遺跡の瓦塔は、塔の屋根の瓦の表現や、屋根を支える組物(くみもの)などが精巧に表現されており、本物の塔を真似して作ったことが分かります。また、瓦塔の破片を繋ぎ合わせて復元した結果、高さ約180cmの五重塔であることが分かりました。これは、県内で出土した瓦塔の中では最も大きいもので、これらの点を高く評価し、市の文化財に指定しました。
 萩ノ原遺跡の発掘調査では、1辺2m、高さ40cmの基壇(きだん)の跡が見つかり、その周辺から瓦塔片がまとまって出土していることから、瓦塔が基壇の上に置かれ、本物の塔と同じように扱われていたことが分かります。萩ノ原遺跡からは「塔寺」「寺塔」と書かれた墨書土器(ぼくしょどき)も出土しており、本物の塔を建てることのできなかった人々が、瓦塔を信仰の対象にしていたことが考えられます。


萩ノ原遺跡出土瓦塔

新規ウインドウで開きます。市原電脳博物館 瓦塔 (埋蔵文化財調査センター)(外部リンク)

新規ウインドウで開きます。遺跡の深層 萩ノ原遺跡 (埋蔵文化財調査センター)(外部リンク)

光厳寺本堂(こうごんじほんどう)欄間彫刻(らんまちょうこく)

市原市教育委員会は、平成29年3月28日付けで、光厳寺本堂(こうごんじほんどう)欄間彫刻(らんまちょうこく)を市指定文化財(彫刻)に指定しました。

保持者・保持団体(所在地)

光厳寺(市原市大和田380)

概要

 光厳寺本堂の欄間(らんま)彫刻は、本堂の正面に取り付けられており、中央の「波に龍」、左右の「寒山(かんざん)」・「拾得(じっとく)」を描いた3面で構成されています。
 「波に龍(なみにりゅう)」は、波間に身を躍らせて宝珠(ほうじゅ)を握る龍の姿が立体的に彫られています。龍の口内には赤彩が残り、保存状態は良好です。
 「波に龍」の左右には人物像の欄間が配置されており、向かって左側の経巻(きょうかん)を持っている人物が「寒山」、向かって右側の(ほうき)を足元に置く人物が「拾得」です。「寒山」と「拾得」は中国の唐代(とうだい)詩僧(しそう)で、江戸時代の禅宗(ぜんしゅう)の寺院で親しまれた題材です。
 中央の欄間の裏側には「彫工 房州長狭下打墨住人 武志伊八良 信由作」という銘が刻まれており、この欄間は武志伊八郎(たけしいはちろう)信由(のぶよし)(初代伊八)によって彫られたものであることが分かりました。
 武志伊八郎は、江戸時代後期から昭和にかけて、5代にわたり南房総を中心に活躍した彫物大工です。特に初代の武志伊八郎信由(たけしいはちろうのぶよし)は、その技量に優れ、多くの題材の彫刻を神社・寺院の欄間や向拝(こうはい)に残しており、中でも迫力のある波の彫刻は伊八の作品の特徴で、このため「波の伊八」と呼ばれています。
 光厳寺の欄間彫刻は、その作風から伊八の円熟期である50代後半の作品と考えられ、今にも動き出しそうな龍の極めて立体的な造作、2名の僧の豊かな表情は、円熟期の高い技量を示しています。
 市原市内の初代伊八の彫刻は、飯給(いたぶ)真高寺山門(しんこうじさんもん)の40歳の作以外知られておらず、伊八の50代後半の活動を知るうえでも貴重な彫刻です。
※3面の彫刻は本堂の外面に取り付けられているので、自由に見学することができます。


光厳寺「波に龍」

お問い合わせ先

生涯学習部 ふるさと文化課
市原市国分寺台中央1丁目1番地1 第2庁舎9階
電話:0436-23-9853 ファクス:0436-24-3005

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